松田ひろむ略歴略歴1938年8月25日高知県高知市小津町に父松田英一・ウメノの長男として生れる。氏神は小津神社で、ここに寺田寅彦の碑がある。この町は寺田寅彦が4歳から19歳までを過ごしたところ。 1957年高知工業高校機械科卒。高校時代に寺山修司などの影響を受け句作を始める。 高校時代より「氷海」(秋元不死男主宰)、「萬緑」(中村草田男主宰)、「麦」(中島斌雄主宰)に投句。また高校生を主体とした俳句投稿誌「風」(のち「歯車」)に参加。ここには酒井弘司・前田弘がいた。 1957年東京電力株式会社に入社。鶴見火力発電所(川崎市)に勤務。「氷海」の句会・大会に出席。秋元不死男・西東三鬼・鷹羽狩行を知る。 1959年、千曲川電力所発送電課に配転。小諸市中棚の中棚寮に住む。 1960年、新俳句人連盟に参加。 「道標」復刊に伴い同人として参加。 宮坂静生さんにすすめられ、藤田湘子の「鷹」に入会。同人となる。 のち「鷹」退会、古沢太穂の「道標」一筋となる。 1964年、永井弓恵と結婚。小諸市城下の社宅に住む。 1976年、新東京火力発電所(江東区)に復帰。江東区南砂の社宅に住む。 1976年、現代俳句協会会員に推薦される。 1978年、「赤旗」創刊50周年記念文学作品俳句部門入選。 1979年10月、板橋区蓮根3丁目の蓮根スカイマンション110に転居。 1980年、板橋区を中心とした「鴎俳句会」を結成、句会指導。主に松村酒恵さん宅が句会場だった。 1981年、「埠頭」20句で第9回新俳句人連盟賞受賞。 1982年 現代俳句協会幹事に当選。年鑑部に所属。部長は堀井鶏、部員に池田澄子がいた。 1987年10月「鴎」(鴎の会会報)を創刊。B5の4ページだった。 古沢太穂先生が2000年に死去後、「鴎座」を創刊代表となる。 2002年 現代俳句協会IT部長 2008年 「白い夏野-高屋正國ときどき窓秋」によって現代俳句評論賞を受賞。 2009年 現代俳句協会参与 現在鴎座俳句会代表。現代俳句協会参与。 句集に「黄梅」(道標発行所)、「飛景」(本阿弥書店)。著書に「入門詠んで楽しむ俳句16週間」(新星出版社)、「一番やさしい俳句再入門」(第三書館)がある。 ジャンル別一覧
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